外出の際、用事を済ませたら直帰する。倒れることなく一日を終らせるための、体力温存から。昨日はうれしいニュースがあり、桜が満開の坂道を自転車で下りて行った。春休みのこどもを後ろに乗せて、夕方の遠回り。



 


通りながら、その日の朝こどもに言ったことを思いだした。



「お母さんは、自分の小さいころで覚えているのは、四歳の思い出だよ。」という話をしたのだ。



 


後部座席のこどもは、桜の花びらを掴もうと「かぜよ!かぜよふけ!」と叫んでいた。


信号待ちのとき、後ろを向いて私は話した。「お母さんの自転車の後ろに乗って、満開の花びらを見たなぁと、〇〇が覚えてたら良いなぁ。」


 






その夜、寝かしつけで2冊の絵本を読み終わり、もう寝るかなぁという感じの時に、こどもは突然泣き出した。


 



「まんかいのときに、さくらみたことを、わすれたくないよう!」


 


覚えていないことが増えているのを、こどもはときおり実感している(二歳の時、お父さんと船に乗ったこと等)。それが寂しいようだ。


 



それと、桜のアーチや桜吹雪がよほどうれしかったんだろうと思う。桜は毎年咲くと言ってなんとか寝かしつけたものの・・・。


 


こんなに感傷的な子で大丈夫だろうか、と思う。年少組の終業式の日も、とりわけ仲良しの友だちがいたわけでもないのに、帰宅後に大泣きした(クラス替えがあるため)。繊細すぎると辛いことが多くなってしまうだろうになぁ・・・。


 


父親が約三年不在というのも、影響していると思う。「さびしい」というのをわりと早くから感じていたこと、異なる価値観の人が同時に一緒に住んでいないこと。どちらかが厳しくして、そしてどちらかが甘やかす、のように、逃げ場がある方が良いのだろうな。こういう考えの大人もいるし、また別の考えの大人もいるんだ、ということを、口では説明しているつもりだけど、日常生活で実感していないし・・・。


 


まぁ、じっちゃん、ばっちゃんが甘やかしてくれているから、いいか。


 


「まぁ、いいか」って切り換えて、楽しいことを考えられる技を身につけさせたいところ。